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伍 真朱に染まる蕾たちの選択 + 3 +

last update Last Updated: 2025-06-10 12:17:59

  * * *

 そして月日は流れ、朱華の誕生日まで一月を切ったあたりから、彼女は茜桜と再会したのだ。夢のなかで。それを知った未晩は嫉妬からか、いままで以上に、執拗に朱華の唇を求めるようになった。

 だけど……どこまでが真実なのか、朱華には判断できない。だって未晩の魂はもう、この世界に存在していないのだから。ただ、哀しい想いをさせたくないから都合のいい解釈をさせようと彼によって記憶を一部、塗り替えられたのだと、誰かが朱華に言っていたような気もする。それが誰だか思い出せなくて、朱華は苦悩する。

 約束の花残月の朔日は、明日に迫っている。至高神は、自分にちからを返すのか。返したのち、自分を土地神の、竜神の花嫁として、この身を差し出させるのだろうか。そのことをきっと、目の前の幽鬼は知っている。

 だから幽鬼に身体を奪われた未晩が、朱華に秘められたちからを求めて、この場にいるのだ。花神に賜れた世界をも変えるちからを朱華がその手中に入れたのちも、強引に夫婦の契りを結ばせ花神の加護を自分のモノとするために。

 いまになって身体中に悪寒が走る。師匠のふりをしている幽鬼は、朱華が怯えている姿に興奮しているのか、鼻息を荒くしている。こんなの、師匠じゃない!

 朱華は禍々しい未晩の瞳を射るように睨みつけ、声高らかに神謡をうたう。

「Wenotaupun shiokote――立ちはだかれ砂吹雪!」

「朱華! なにを……?」

 師匠に向けて神術を放ったことなどなかった。けれど相手が幽鬼なら、もう、容赦はしない。

 あのとき雲桜を滅ぼした幽鬼の王が甦ったのだ。今度こそ、自分が仕留めなければ……

 次に滅ぶのはこの、竜糸だ。

 朱華の激昂した姿に、未晩は自分が幽鬼の本性を見せたままだったことに気づき、舌打ちをする。逆さ斎が施した記憶封じの真似ごとをしたが、夜澄が解いた記憶まで封じ直すことはできなかったようだ。

「あたしの昨日と一昨日の記憶を返しなさい」

 すっくと立ち上がり、朱華は幽鬼に向けて濃紫色の瞳を煌めかす。彼女自身が闇鬼に囚われかけていることに気づかず、憤怒の炎を燃やしている。

「ほう。神殿の記憶が消えたか」

 朱華の反撃に目を瞠った未晩は、好戦的な声で彼女の前へ立つ。

「あんたが消したんでしょう?」

「そうだ。朱華には必要のないものだから」

 さきほどまでのすまし
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